アユタヤ王朝
微笑の国のとんでもないヒミツ
アユタヤ王朝の世界遺跡は、チャオープラッヤー川沿いにあるため、バンコクから水上で行けます。
さらにまた、ロッブリー川やパーサック川も流れているので、水に恵まれた都市でした。
その意味では今のバンコクも東洋のベニスといわれるくらい水に囲まれている都市ですね。
さて、アユタヤ王朝を建設したのはクメール人と呼ばれる人で、癖のある髪、銅のような色をした肌を持っていて、背が165センチくらいなのが特徴です。
先に紹介したように、アユタヤ王朝と日本は、交易をしていました。

アユタヤ市街のチャオップラヤー川近くには、日本人町の遺跡が公園として残っています。
ちょうど17世紀初頭に、江戸幕府の長、徳川家康の親書が、アユタヤの王に送られたほか、何度も交易をし、日本人村には1000人を超える日本人が住んでいたそうです。
徳川家康が天下をとった以上、武士も行きどころがなくなったのでしょうか。
アユタヤ王朝も積極的に日本人を受け入れたといいます。
やはり、規律正しい日本人の武士は重宝されたのでしょうか。
ただし、あまり勢力が大きくなると、お上から押さえつけられるもの、最終的にはアユタヤ王朝の消滅とともに、最終的には日本人もタイ人化して日本人町も消滅してしまいますが。
アユタヤ王朝自身は、最終的には、ビルマ(現ミャンマー)によって消滅させられます。
アユタヤ王朝は、400年近くも長い間続いた王朝でしたが、結局その長さは、江戸幕府と同じくらいになりましたね。
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